バルト海のフィンランド湾の人工島にある海軍要塞アレクサンダー砦(Fort Alexander)。
もともとは軍事拠点として建設された砦ですが、1899年から1917年にかけて、ペスト(高い致死性を持つ伝染病。感染すると皮膚が黒くなることから、黒死病とも呼ばれる)やその他の細菌性疾患に関する研究が行われていたことから、「ペストの砦」とも呼ばれています。
かつてバルト海のフィンランド湾岸のサンクトペテルブルクでは、本土から30km離れた湾岸に列をなすようにして砦を建設して敵の攻撃から市を守っていました。
砦の建設はサンクトペテルブルクが設立された直後に始まり、1700〜1721年の間に起こった戦争の間にも建設は進められました。
その後2世紀にかけ、サンクトペテルブルクではフィンランド湾の南岸と北岸の間に40箇所以上の砦を建設し続けました。
これらのほぼ半分は海を埋め立てて人工島を造り、その上に建てられたそうです。
そんな数ある砦の中でで最も有名なものが、ニコライ皇帝によって委託され、アレクサンダー皇帝1世の名にちなんで命名されたアレクサンダー砦です。
1838年〜1845年の間に建設されました。

湾岸の多くの砦のように、アレクサンダー砦は人工島に建てられました。
その基盤は砂の層、コンクリートブロックの層、および花崗岩スラブの層で覆われ、5,500本以上の長さのパイルから成っています。 この上に、楕円形のアレクサンダー砦が建てられました。 要塞は90メートル×60メートル、3階建て、最大1000人の守備隊を収容できるスペースを備えています。 103個もの大砲台に加え、屋根にも34個の大砲を備えていたようです。



実際、この要塞が軍事に使用されることはありませんでしたが、クリミア戦争においてロシア海軍基地をフランス艦隊などの攻撃から防衛する上で重要な役割を果たしました。サンクトペテルブルクに侵入しようとしている敵から防衛するためには、アレクサンダー砦の存在感のみで十分だったようですね。
しかし、20世紀になると近代的な兵器が次々に登場したことにより、アレクサンダー砦は軍事的な重要性を失っていきます。
そして1897年、砦はペスト、コレラ、破傷風、チフス、斑状虫、などの致命的な疾病の研究のための施設に転換されました。 中でもペスト細菌の実験では有名で、研究にはモルモットに加えてウサギ、サル、馬などが利用されたようです。特に馬からのペスト血清の開発とワクチンの調製に注力していたのだとか。
血清の開発に向け熱心に研究を続けていた科学者達でしたが、残念なことに研究の最中に犠牲者が発生しました。1904年、1907年のそれぞれの年に科学者がペストに感染し、命を落としました。
遺体は本土での感染を防ぐために、砦の内部で火葬されたそうです。
その後、科学者達の努力によりコレラ、破傷風、チフスの血清の開発に成功しました。
しかし、ペストの血清の開発は最後まで果たせなかったようです。
このような出来事がきっかけで、この砦には「ペストの砦」という名がつけられました。



今から約100年前、1917年のロシア革命(モスクワで労働者や兵士による武装蜂起)でロシアの君主制は崩壊しました。旧ソ連時代の幕開けです。
その時に研究所は閉鎖され、要塞はロシア海軍のものとなりました。海軍は1983年まで砦を貯蔵施設として利用していました。
その後、1990年代後半から2000年代前半にかけて、アレキサンダー砦は私的パーティーやレイヴ・ディスコの場として活用されていました。

このように様々な歴史をもつこの砦ですが、今日では人気の観光名所としてツアーなども組まれているそうです。
現在の医療の発達にはさまざまな科学者たちの懸命な努力があるんですね。
感染の恐怖がある中、この狭い砦の中で懸命に開発に勤しみ、数々の血清を生み出した科学者たちのことをおもうと、尊敬の念に堪えません。