ヒマラヤ山系最西端にあたる世界第9位峰のナンガパルバット。
多くの登山家が登頂を果たせず命を落とした「魔の山」で恐れられてきました。
主峰を中心とする大岸壁から発した氷河が急な角度で四面に流れ落ちているのが特徴的です。
氷河の侵食を受けた地形が険しいことから、登頂難易度が高い山として知られています。
人類が初登頂を達成するまでにこの山が奪った人の命は31人。

人類初登頂までにエベレストが13人、K2が5人の命を奪ったことを考えるとこの山が奪った命の数は驚異的です。
それゆえに「魔の山」「人食い山」などと登山家たちに恐れられ、これまでに数々のドラマが生み出されてきました。
この山の歴史は1895年にイギリスの登山家アルバート・フレディック・ママリーが登頂を目指して遭難したところから始まります。1934年にはドイツのヴィリー・メルクル率いるドイツの登山家が、無残にも一度に9人の犠牲者を出しました。
人類が初登頂に成功したのは1953年、 カール・マリア・ヘルリヒコッファー隊長のもと、ヘルマン・ブールがライコット氷河側(北面)からの初登頂に見事成功しました。
その後、同じくヘルリヒコッファー隊のラインホルト・メスナーが、下山時に弟を失いながらも最難関と言われたパール壁(南面)からの初登頂に成功しました。1980年には再びメスナーがディアミール側(西側)より人類初の「8,000m峰無酸素完全単独登頂」を成し遂げました。

このように、ナンガパルバットへの挑戦者たちのエピソードをあげたらキリがないようです。
壮絶な登山史とは裏腹に、山の麓にはとてものどかな光景が広がっています。

ブールが初登頂した北面ルートの展望地フェアリーメドウへは、カラコルム・ハイウェイよりインダス川左岸の谷を奥へ入り込んだフェアリーポイントから目指します。
松林の中、穏やかな登り坂をわずか3時間ほど歩けば、緑豊かな牧草地に到着できるようです。

「メルヘンビーゼ」という別名もあるようで、メルヘンチックな場所なんだとか。
南面側の展望地へは、デオサイ高原に近いタルシン村から歩いていくようです。
氷河を1つ横断する険しい道ですが、地元民にとっては生活道。制服を着た女の子たちや村人も普段から同じをルートを歩いているんだとか。

牧歌的な村々を抜けて、およそ6時間歩けば展望地のヘルリヒコッファー・ベースキャンプに到着します。一帯は牧草地になっていて、ヤク、牛、ロバ、羊、ヤギなどがのんびりと歩き回っている光景が微笑ましいです。

ここでのキャンプは夜な夜な雪崩の轟音が鳴り響くんだとか。
それ以上山に近づくなと言わんばかりの轟音で、神々の領域との境界線に来ているということを実感させられるようです。